離見の見


今日は通しのリハーサルだった。

先週、音合わせで創ってもらったカラオケテープで
ナレーションも入れて、プログラム通りに流してみる。

それぞれに持って帰ったテープで練習をしたのだが
今までピアノだけで歌っていたのが
シンセサイザーが中心になると
感覚が変わってしまい
みんなカウントに苦労しているようだった。

で、通しで確認をしながら
先生から最後の注意を受ける。

歌い方であったり、間奏の時の演技指導?だったり
視線や手の持って行き方だったりする。

その中で私は
「シェルブールの雨傘」に関して
「離見の見」という言葉を課題としていただいた。

世阿弥の書「花鏡」の中にある言葉。
自らが舞を舞う姿を観客の目で客観的に見つめること、とか。

私は、シェルブールの雨傘の中で
あまりにも感情移入をしすぎて
当の本人になってしまって、哀しんでいる。
しかし、歌い手は自分が哀しむのではなく
その哀しみを聴き手に伝えなければならないのだから
哀しい思いを歌にのせている自分を
外から見つめる冷静な目が必要になる。
そういう眼をもって、歌っている自分を見て
歌い方、感情ののせ方をもう一度考えてごらん、と。

普段、私は、自分に対してそういう見方はできる方だと思っている。
トラブルの中にあっても
今トラブっている自分がいる光景を、斜め上から見つめている自分がいる。
何に対しても、結構、冷静なつもりだ。
だが、今日言われて気がついた。
歌っている自分に関しては
そういうことは全くできていなかった。

きっと、歌うことに精いっぱいなのだ。


さて、時間はあまりないが
最後まで努力してみよう。
観客の目で見つめた私自身は
どのような表情で、どのような歌い方で
シェルブールの雨傘を歌っているのだろうか。
それが見えなければ、独りよがりで、終わってしまうのかもしれない。

シェルブールの雨傘で悲嘆にくれるのは
歌っている私ではなく、聴いていただいているお客様なのだ。
[PR]

by sararaM | 2008-05-03 00:46 | 2度目の発表会へ | Comments(0)