カテゴリ:シャンソン( 248 )

どうしてシャンソン?


私はなぜ、こんなに苦手な音楽を四苦八苦しながら続けようとしているのだろうと

最初の頃、よくわからなかった。


教室の課題の曲も、レッスン前に半日ほど練習すればさらっと歌える方もいる。

けれど私は、毎日毎日、曲を聴くところから始まり、

音が出ずに繰り返し練習し、

毎日、朝から晩まで格闘して、やっとレッスンに間に合う、というありさま。

できは別にして、練習量と努力だけは、メンバーの誰よりもやっていると自負している。

オルガンどころか、ピアニカさえも操ったことがないのに、なぜだろう。


それはたぶん、シャンソンというものが、

私が歌えば、それは世界にひとつの「私の歌」になるからだろう、と思う。

以前、「永遠の絆」の時に先生が言われた。

  この曲は、音大出たての若い子が上手に歌うよりも、

  人生を積み重ねたSさんが歌うほうが聴く人のこころに響くはず。

  シャンソンはその人の人生を載せて、創り上げるのだから。

これを聞いて思ったのだ。

うまいへたに関係なく、私も歌えるかもしれない、と。


そしてまた、私は、自分の「思い」を外に出すのが苦手。

考え込みすぎて、内へ内へと入っていく。そして出られなくなる。

そんな「思い」を曲に載せて外へ出すことができるかもしれない。

そんなふうに感じたのだった。
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by sararaM | 2007-08-17 11:36 | シャンソン | Comments(0)

歌が変わる‥「ちゃんと」の次 2


「黒い鷲」 私のストーリーを創って、歌ってみると、

もう、以前のようには歌えなくて、驚いた。

明確なストーリーが自分の中にできると、歌が変わるんだ、そう思った。


指摘されたレッスンのころから、体調が下り坂で、咳がひどくなっていたのだが、

その後、咳き込んで眠れないくらいになり、高い熱まで出してしまった。

めったにかからない医者に行ったら、どうやら肺炎らしい。

レントゲンを撮られたり、血液検査をしたりして、点滴まで打たれた。

会話も咳き込んでできないくらいだったから、

歌の練習なんて、もってのほか、だった。

声に「色」がなくなってしまって、呼吸音?だけでかろうじて会話をしていた。


そんなことで、次のレッスンまでの2週間、1度も歌えなかった。

レッスンそのものも、まだ熱があり???だったのだが

今の私は、何でも聴いておきたい、吸収したい、という時期なので

録音するだけでも、と、出て行った。


先生を前にすると、やっぱり歌いたい。

ストーリーを作り直した後の歌を先生がどう言われるか。


ほとんど出ない声だったけれど、私のイメージの黒い鷲を歌った。

よくなった、と褒めていただいた!

その上で、そう表現したいのなら、と、いくつかのアドバイスをいただいた。


声を出して歌うだけが練習じゃないんだ、と、改めて思った。

そして、歌は変わる。

これも、実感した。


身体はキツかったけれど、精神的には充実したレッスンだった。
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by sararaM | 2007-08-11 10:16 | シャンソン | Comments(0)

黒い鷲 私のストーリー


「黒い鷲」について、再構築してみた。

以下は、私が創ったストーリーだ。

‥‥‥‥‥‥‥‥

そこは、落ち着いた感じのジャズバーのカウンター
邪魔にならない程度に、ジャズのサウンドが響いている。
とりとめもない話をしていたのだが、
女はふと、隣の男に言ってみたくなる。
10年、いや、もっと前だったか‥
「いつか、忘れたけど‥」


ある日目が覚めると、そこは荒野だった。
何もない。そこに自分だけが、いた。
自分の存在の意味が見えなくなって、生きている値打ちがわからなくなって、
自分が今まで立っていた足元が、急に音を立てて崩れていった‥
そんな気持ちの日々が続いていたから
何の不思議もなかったとは言えるのだけど。

夕刻。空は一面灰色。
が、突然、その灰色の空が割れた。
白い光が差し込み、そこに大きな鷲が姿を現した。
翼を広げて、弧を描きながら、私の目の前に降り立った。
瞳は赤く燃え、漆黒の翼をマントのように羽織っている。
肩にとまった、と思ったら、私は、その漆黒のマントに包まれていた。
鷲はささやく。
私の耳元で、ほほを寄せて、甘く優しく、しかし強い意志を込めて。
「僕と、帰ろう。ずっと待っていた。」

ああ、この鷲につつまれたまま一緒に行けば、
どれほど安らかであろうか。
この鷲は、私を待ってくれていたのだ。
私のいるべき場所はそこにあるのかもしれない。

けれど、私は動けない。
この世界で、私が存在する値打ちはほんとうにないのか?
あなたは、私を必要とはしないのか?
目の前にいないあなたに叫ぶ。
ちがう!ちがう!私はあなたを愛している!それは真実だ!

やがて、鷲は消えていった。
白い光も、なくなってしまった。
あたりはだんだん闇に包まれていく。
私は歩き始めた。見えないあなたに向かって。


ね、あなた。
私は鷲とともに行けばよかったのかしら?
でも、私は今、あなたとここにいる。
これが現実なのよ。
でも、鷲は降りてきた。私の元へ降りてきたのよ。
その気持ちは今も残ってる。消えずに残ってる。
それでも私は、ここにいることを選んだ。
わかる?わかってくれる?
酔いが‥ 回ってきた。

‥‥‥‥‥‥‥‥
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by sararaM | 2007-08-10 11:52 | シャンソン | Comments(0)

歌が変わる‥「ちゃんと」の次


私は「黒い鷲」を練習していた。

音の取れない私にとって、転調が繰り返されるこの曲は難しい。

それでも、自宅で繰り返し練習し、何とかかんとか「ちゃんと」のところまで行き着いたかな?

これで先生に聴いてももらえるかな? と、レッスンに臨んだ。


一通り聴いた先生は、

「よし、OK。  そしたら‥ 」

えっ? そしたら? そしたらって?

歌の出だしは「いつか 忘れたけど‥」と始まる。

先生に、

「いつか、って、それはどのくらい前?1年前?3年前?もっと前?」

「それは、誰に話してるの? どこで? いつ? 何時頃?」

「話し始めた内容の『ある日』は、夜?昼?場所は?誰かと一緒?」

「飛んできた鷲の大きさは?」

わ、わ、わ、わ、わ‥

思いっきりの、しかも、予想外の攻撃‥


「黒い鷲」に対するイメージは持っている。

生と死の間で、向こう側からの使者の誘惑に導かれそうになりながら踏みとどまる‥

しかし、先生は、心象風景や心理ではなく、具体的な風景だという。

聴いているお客さんにどんな「絵」を見せようとしているのか、と。

それを見せて、その上に、その時の気持ちが乗るのだ、と。


私が第一目標としていたところまで、やっとの思いでたどり着いたら

そのとたんに目の前に道が延び、

しかもそこには階段がなくて、ぽ~んとジャンプして飛び乗らねばならないような、

そんな感覚を持った。

その日はそこで時間切れ。あとは、宿題。


私はその場で思いつきで答えたことをいったん白紙に戻し、

再度、「黒い鷲」のイメージを作り直したのだった。

          くたびれたので、つづく(笑)
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by sararaM | 2007-08-10 11:11 | シャンソン | Comments(0)

「ちゃんと」の次


歌を聴く経験も、もちろん、歌う経験もなかった私にとって、

第一の目標は「ちゃんと」歌うことだ。

音程をはずさずに、リズムを刻んで、歌詞を間違わずに‥


6月の初めての発表会の、まずの目標、をそう決めた。

聴いてくれる人が、はらはらせずに落ち着いて聴ける、

話はそこから始まる、と。

だから、自分で練習する時は、

歌っているのを録音し、それを聞き返す時、PCでトランプゲームをしながら聞いた。

途中でつっかかったり、テンポがずれたりすると、ゲームへの意識は必ず止まる。

機嫌よくトランプができるくらいに歌が流れるように。

「聴かせる」なんておこがましいことは考えずに。


それができて初めて、言葉に気持ちを込めたりできる、そう思ってた。

もちろん、練習そのものに入る前に、その曲に対する自分の思いやイメージは持つ。

でも、それを前面に出すのは、「ちゃんと」歌えてからできることだと。
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by sararaM | 2007-08-10 09:12 | シャンソン | Comments(0)

めぐるめぐる


ムスタキの曲に「IL EST TROP TARD」というのがある。

その曲に、高野圭吾さんと古賀力さんが訳詩をつけられている(他にもあるかも)

先生は、個人個人が好きな方の訳詩で歌っていいと、言われた。

私は 「めぐる めぐる」 のフレーズが気に入って高野圭吾さんの詩にしたのだが

メンバーの他の7人は古賀さんだった。

実際のところは、お二方のフレーズを好きなところ取りをしたいのだ。

でも、それは許されないことなので‥

歌い上げたいところ、で選択すると、

古賀さんの4番になるんだけどなあ。
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by sararaM | 2007-08-09 20:24 | シャンソン | Comments(0)

音がとれない


どのようなことを指して「音が取れない」というのか定かではないが、

聴いたそのままの音や旋律が「声」として出てこない。


自分で思うに、私は、音を流れのなかで捉えているのだろう。

生まれてこのかた日本で耳にしてきた音のつながりのクセのようなものが

自分の中には在って、

フランス風の、オシャレな旋律などに出会うと

思ったように音として(声として?)出てこないような気がする。

転調などされた日には、たまったもんじゃない。最初の音がうまく出てこない。

前の調のイメージをひきずったままで、声は、出たいと言う(笑)


こんなのって、慣れるしかないんだろうか。

ちなみに、今までは、ただひたすらに「聴く」ことに徹すると

ある日、ほろっと、口から旋律が出てきたりした。
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by sararaM | 2007-08-09 12:59 | シャンソン | Comments(0)

オーベルニュの人に捧げる歌


私が所属しているのはグループレッスンなのだが、

そこの現在のテキストが 「オーベルニュの人に捧げる歌」 だ。

これは、古賀 力さんと言う方の訳詩集でハードカバーの立派な本である。

先生が、初めての発表会で頑張ったお祝いに、と全員にプレゼントしてくれたもの。

1回のレッスンに1曲か2曲、本の中から先生が選曲してくださる。

今は、ジャック・ブレルの「泣く友を見る」をやっている。


ところで、こういうのって、かなりマニアックらしい。

私は、シャンソン及び音楽全般の知識がないので、

何を課題にされても「初めて」なのだが、

今、私たちが練習している曲は、10年選手の方々でも聴いたことがないものが多いらしい。


うちの先生はちょっと変わっているようだ(他の方は知らないので)

スタンダードなんてやっても面白くないでしょ、と言う。

シャンソンの古典に、名曲はあるから、と勉強として取り上げられるが、

こういう歌もシャンソンなんだ‥ というものが多い。

私の感覚では、昔懐かしい唱歌のような旋律だったり

一昔前のフォークソングのようだったりする。

歌詞の意味するところ、背景、気持ち、そういうものをしっかり考えるように言われる。

歌はそこから始まるのだ、と。


というわけで、私は、

「‥時間に殺された メトロの溺死人‥」 というような歌詞と

格闘しているのだ。
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by sararaM | 2007-08-08 13:15 | シャンソン | Comments(0)